神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 若栗神社

若栗神社

式内社「若栗神社(わかくりじんじゃ)」は、愛知県一宮市島村に鎮座する「若栗神社」に比定されている。

現在土地の人は「わぐりじんじゃ)と呼んでいる。
江戸時代には、「八幡宮」と呼ばれた。

【所在】

一宮市島村字南裏山75。

島村の集落の北端に位置する。

【祭神】

「式内社調査報告8」によると、

祭神は、天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと )、応神天皇。

天押帯日子命というのは、孝昭天皇(第5代天皇)の皇子で、母は宇夫須那神社の祭神の餘曾多本比賣命(よそたほびめのみこと)。同母弟に孝安天皇。「日本書紀」によれば,和珥(わに)(のち春日(かすが))氏の祖先。「古事記」では天押帯日子(あめおしたらしひこの)命。春日、大宅(おおやけ)、栗田、小、,柿本氏ら中央豪族の祖。

また、天押帯日子命は、羽栗臣の祖で、「羽栗臣は、『孝昭天皇記』によると、孝昭天皇の皇子天押帯日子命の子孫であるとされ、葉栗郡において勢力をもつていた地方豪族であるが、式内若栗神杜とどういふ関係にあったかは、明らかでない」

「葉栗臣人麿の墓とされる古墳「人麿塚」は、島村の東北約一・五キロメートルの河田集落にある。『張州府志』の葉栗人麻呂の項には、「葉栗郡の人。天押帯日命の後なり。天武天皇朝に仕へ、葉栗の光明寺を創建す」とある」

葉栗臣人麿は、郡司などを務める人物であったらしい。

【由緒】

「葉栗史誌」には、「白鳳年中、葉栗臣人麿が若栗天神を創建した。慶長10年(1605)、当所領主兼松又四郎が武運長久祈願のため八幡宮を合祀した。ご神体は八幡菩薩極彩色木造・・・」と記すが、創建の詳細は不明。

【社殿】


社殿は、拝殿、渡殿、祭文殿、本殿と南南東向きに建つ。

本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。


拝殿正面には、「五七桐」の紋が付く。


拝殿屋根には、「若」の字。


社殿の両サイドにいかつい感じの狛犬が座る。


【参拝記】

2011年1月30日、一宮の北部地域にある式内社や八剣神社を訪ねて歩いた時の続きで、高田波蘇伎神社から東へ宇夫須那神社のほうへ戻り、北へ少し行くと式内社の「若栗神社」があった。

ニの鳥居をくぐると石造りの透かし塀があり、その向こうに社殿が並ぶ。

透かし塀には飾りはない。


本殿側面には、雲・鶴・波の飾りがつく。


応神天皇も祭神なので、八幡社で良く見られる「向かい鳩」が刻まれた石台もあった。


境内社は4社あったが名称はわからない。

ただ、一社は蟇股に梅の紋があったので天神社だろう。

 

若栗神社から西へ2kmほど、東海北陸自動車道の高架の近くに、「八劔神社」があり、そこから、西へ2kmぐらいのところに式内社の「黒田神社」に比定されている「籠守勝手神社」があるので、向かった。